山塚リキマル

1990年、北海道富良野市出身。『指示待ち世代のカリスマ』との呼び声も高い、SF(ソウルフル)作家/プロ知ったかぶり。 大型特殊免許/フォークリフト/猟銃免許/わな猟免許所持。口癖は『疲労困憊』。 小説/評論/解説/作詞/漫画原作/コラム/エッセイ/インタヴュー/広告記事など、ジャンル横断的な著述活動を旺盛に展開する。’22年、自費出版した雑誌『T.M.I』が小ヒット。

Rikimaru Yamatsuka

Rikimaru Yamatsuka

作家

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2025年度公開、人気漫画の実写映画7選

2025年度公開、人気漫画の実写映画7選

タイムアウト東京 > 映画 > 2025年度公開、人気漫画の実写映画7選 2025年も人気漫画の実写映画が何かと話題だ。SNSでは公開前から「キャスティングが神」「原作愛に欠ける」とファンやアンチが喧喧諤諤やりあっており、もはやM-1と並ぶ国民的関心事のひとつだ。 少なくとも映画館に足を運ぶ平均ペースが年に一度という我が国において、活気あるシーンであることは間違いない。 本年度は大作シリーズものは少ないが、『ネムルバカ』や『海辺へ行く道』など、いわゆる「サブカル系」の、知る人ぞ知る名作が実写化される傾向がある。この潮流が果たしてどのような広がりを見せるか、注目だ。 本稿では、とりわけ話題になりそうな作品を紹介する。 関連記事『東京、注目のアニメ展示』『日本で最もセクシーな映画俳優』
2024年度公開、人気漫画の実写映画7選

2024年度公開、人気漫画の実写映画7選

タイムアウト東京 > 映画 > 2024年度公開、人気漫画の実写映画7選 2024年は人気漫画の実写映画が熱い。まぁ実際は2023年も2022年も2021年も、なんなら「あしたのジョー」や「銭ゲバ」が実写化された1970年も熱かったわけであるが、例によって今年も熱いわけである。 2000年代後半から、「漫画の実写化作品」は年間30本前後が制作されており、ファンやアンチが公開前からSNSで「キャスティングが神」「原作愛が感じられない」といって喧喧諤諤やり合うのも含めて、もはや国民的な関心事のひとつとなっている。されば踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら何とやらというやつで、このビッグウェーヴに乗らない手はない。 「いまや日本映画はオリジナル脚本のものはほとんどない。人気の原作があって、ある程度の観客動員を見込めるものでなければ制作されない」と嘆くシネフィルの気持ちも分からんではないが、これはもはや祭りなのだ。 本稿では、2024年に公開される実写化作品の中から注目作を紹介する。 関連記事『2024年公開の注目映画15選』『日本で最もセクシーな映画俳優』
正月・冬休みに観たい日本映画7選

正月・冬休みに観たい日本映画7選

タイムアウト東京 > 映画 >正月・冬休みに観たい日本映画7選 あれよあれよで気がつきゃ師走、いよいよ来たる年末年始。猫も杓子もチルアウト、諸人こぞりてリラックス・ムードに包まれるこの時節、 たこ揚げやこま回し、相撲や羽根突きに興じるのも大いに結構だが、 「クソ寒いのに外なんか出たかねぇよ!」というインドア主義の人に勧めたいのはやはり、映画鑑賞である。 つーワケで今回ワタクシ、「正月・冬休みに観たい日本映画」をセレクトした。 ダラダラしながら観るのにうってつけのユルいコメディや、 新年に向けて気合いを注入するためのパワフルな時代劇など、多様なジャンルを取り揃えてみたので、ぜひ各々のモードに合わせて鑑賞してみてほしい。 おひとりさまで、あるいは友達や家族、もしくはパートナーと、コタツに入ってミカンを食べたり、部屋を暗くしてブランケットを頭からかぶったりしながら映画を観る。これほど楽しいことはない。 関連記事『クエンティン・タランティーノ映画、全作品ランキング』『人生で観ておくべき、日本映画ベスト50』
あなたのタトゥーを見せて(友人編)

あなたのタトゥーを見せて(友人編)

タイムアウト東京 > カルチャー >あなたのタトゥーを見せて(友人編) 僕にはタトゥーが入っている友人がたくさんいる。もともと僕は札幌で中華一番というヒップホップクルーをやっていたのだけれど、ARIKAという画家で彫り師の青年が加入したのをきっかけに、彼にタトゥーを入れてもらうメンバーがちらほら現れ出したのがターニングポイントではなかったかなと思う。いつか死ぬその日まで残り続けるそれを、気心の知れた友人に彫ってもらう。というのは、きわめて深いコミュニケイション=魂の交接だ。 今回、僕はタトゥーが入っている友人たちに質問をぶつけ、その意味やエピソードを問うてみることにした。で、やっぱりそれぞれに意味があって、ちゃんとエピソードがあった。タトゥーとは皮膚にモチーフを刻み込むだけではなく、意味とエピソードも刻み込むものなのだと思った。 ここでは友人の素晴らしいタトゥーとともに、その回答を紹介する。 関連情報『東京で行くべきタトゥースタジオ』『日本風のタトゥーを入れる前に知っておくべきこと』
2023年度公開、人気漫画の実写映画7選

2023年度公開、人気漫画の実写映画7選

タイムアウト東京 > 映画 > 2023年度公開、人気漫画の実写映画7選 日本人が映画館に足を運ぶ平均ペースは「年1」なのだという。これはアメリカと比較すると4分の1の回数で、「日本人はあんまり映画館には行かないんだナァ」という小学生並みの感想を思わず述べてしまうが、そんなふうに映画鑑賞がけっして盛んとはいえない我が国において、常に話題をかっさらい続けている一大ジャンルがある。『漫画の実写映画』だ。 漫画の実写映画は、SNSにおけるトレンドの常連であり、ファンにせよアンチにせよ「これについて何かひとこと言わなくてはならない」という高いコメント誘発性を持っている。「好きの反対は無関心」という陳腐なテーゼを持ち出していえば、漫画の実写映画こそまさしく国民的な関心事のひとつといえるであろう。いわば祭りだ。 原作ファンや洋画信者も、偏見や先入観はいったん置いて、祭りに参加しようではないか。本稿では2023年度に公開される漫画の実写映画の中でも、これは相当な祭りになるのではないかという注目作を紹介する。 関連記事『2023年公開の注目映画17選』『日本で最もセクシーな映画俳優』

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なんかいいモン観たわ、映画「BAUS 映画から船出した映画館」

なんかいいモン観たわ、映画「BAUS 映画から船出した映画館」

2025年3月21日(金)から公開される、映画『BAUS 映画から船出した映画館』を観た。 2014年に惜しまれながらも閉館した映画館「吉祥寺バウスシアター」を巡る90年の歴史を描いた作品で、サイレントからトーキーへ、戦前から戦後へと時流の荒波に翻弄(ほんろう)される経営一族にフォーカスした家族ドラマである。 あらすじを見る限り何だか地味な映画に思えるが、この映画は実際に地味だ。だが滋養は高く、「なんかいいモン観たわ」としみじみ感じさせる、ふくよかな余韻がある。そして根底には邦画のテンプレートから逸脱せんとする実験精神がしっかりと息づいている。 本作は、ともすればNHKの地域社会学ドキュメンタリーフィルムみたいになりかねない内容をうまく劇映画に仕立てているし、紋切り型の表現から脱するべくさまざまなチャレンジが見られる。 ©︎本田プロモーションBAUS/boid 「日本映画あるある」からの逸脱 まず、無駄にエモくない。近年の日本映画の悪癖である、やたらと声を荒げて暴れたり、もしくは悲痛に泣き叫んだりして、悲哀を全面に押し出すようなエモ表現を、本作は実にエレガントに排している。泣かせようとすればいくらでも泣かせられる話なのに、演技や演出にそういったそぶりはほとんど見られないし、「戦争」を描きながらも悲惨や陰鬱に過剰な重心を置いていない。 このあたりのフラットな感覚は、岡本喜八の『肉弾』をほうふつとさせる。要するに、いい意味で淡々としているのだ。 ©︎本田プロモーションBAUS/boid いわゆるミニシアター系にありがちな、単なる雰囲気づくりのための美景ショットの挿入もないし、もったいぶるようなカットの間もない。ストイックにぜい肉を削ぎ落とし、いたってシンプルな筋書きをナチュラルに表現しようとする姿勢には好感が持てる。老けメイクやコンピューターグラフィックさえも排し、極力を俳優の身体表現に委ねている。それでいて、時にぶっきらぼうなほどにシーンを切断・接合する編集感覚は英断で、映画が平たんになり過ぎないようにうまく機能していたと思う。 劇中のタイム感についても同様で、スクラップノートを眺めながら過去を振り返る老人の現代パートを長回しワンカットで抑える一方、過去パートをカット多めでめちゃくちゃテンポ良く進行させるという演出は、現代と過去をうまく対比させながら、映画をとても観やすいものにしていた。 また細かいところではあるが、「嫌煙ヒステリー」がまん延する我が国において、宮崎駿の『風立ちぬ』ばりに喫煙シーンを大量に差し込んでいるのも好感が持てる。昭和を描いたドラマなのに喫煙シーンが皆無というのは、歴史改ざん以外の何物でもない。 音響への意識の高さ そして、特筆すべきは音響に対する意識の高さだ。これまた日本映画の悪癖である、「ボソボソ喋ってたかと思ったら急に爆音になる」というような音響も、本作には見られない。監督である甫木元空はBialystocksというバンドで活躍する音楽家でもあるそうだが、なるほど納得、実に配慮の行き届いた音響っぷりである。 ドラマをけん引し、観客を巧みに引き込む音響への意識の高さは実際に映画そのものにも現れまくっていて、シンプルに楽器演奏や歌唱シーンがとても多いし、劇中で上映されるバーナード・シェイキー(ニール・ヤングの別名義)監督の『グリーンデイル』のミキシング場面で「ギターの中音域をもっとガツンと欲しい!」と言わせるあたりなどはモロにそうだ。 もはや巨匠の風格さえある大友良英が担当した、ギターノイズとビッグバンドサウンドか
東京、3月から4月にリバイバル上映される映画

東京、3月から4月にリバイバル上映される映画

2025年は名作映画のリバイバル上映が熱い。まぁ23年も24年も熱かったし、26年も27年もそうなるのだろうが、とにかく熱いのである。 昨年末に急逝した中山美穂主演の傑作恋愛映画『Love Letter』の4Kリマスターや、当時は物議を醸し国会さえ巻き込む騒動となった問題作『バトル・ロワイアル』の25周年記念上映など、このタイミングを逃したら次はいつ劇場で観られるか分からない話題作がめじろ押しだ。 サブスクリプションが普及し、過去の名作映画はいつでもどこでも観られるようになって久しいが、大スクリーンで映画と対峙することの価値は決して損なわれることがない。 本稿では3~4月にかけてリバイバル上映される映画の中から、推薦作を紹介する。 リンチの不条理映画『マルホランド・ドライブ』  (c)2001 STUDIOCANAL. All Rights Reserved. 2025年1月に急逝したカルトの帝王、デヴィッド・リンチの最高傑作とも名高いジャンル不可分の映画『マルホランド・ドライブ』4Kレストア版が上映中だ。 生涯にわたり「美しい悪夢」というべき壊乱の美を描き続けたリンチのフィルモグラフィーの中で最も難解とされるが、ジャズミュージシャンで作家の菊地成孔は本作を「統合失調者の世界をVRで追体験するシンプルな作品」と評している。 いずれにせよ覚醒しながら観る悪夢である本作を、大スクリーンで、より美麗な映像で鑑賞することは、映画体験として強烈極まりないものになるだろう。 「シアターギルド代官山」で3月22日(土)から上映。 公式ウェブサイトはこちら ロマンチックコメディーの傑作『ノッティングヒルの恋人』 Photograph: Universal Pictures さえない書店主とハリウッドスターの恋を描いた、1990年代を代表するロマンチックコメディーの傑作。当時人気絶頂にあったヒュー・グラントとジュリア・ロバーツの演技がチャーミング極まりなく、矢継ぎ早に繰り出されるおとぎ話レベルのコテコテなロマンス展開には悶絶(もんぜつ)必死だ。 『ブリジッド・ジョーンズ』や『アバウト・タイム』など、ロマコメの名手として知られるリチャード・カーティスの小粋な脚本はさえ渡っており、超王道ロマンスに華を添えるエルヴィス・コステロによる主題歌も話題となった。 「キネカ大森」「新宿ピカデリー」ほか、全国31館で3月28日(金)から1週間限定上映。 公式ウェブサイトはこちら 岩井俊二の名作『Love Letter』 『Love Letter』4Kリマスター版 岩井俊二の長編デビュー作にして、故・中山美穂が主演を務めた恋愛映画が、劇場公開30周年を記念して4Kリマスターで上映。女性2人の不思議な文通を巡るリリカルなアンビエントラブロマンスで、中山が一人二役を演じたことでも有名だが、豊川悦司や柏原崇などの豪華キャストも見逃せない。 2025年1月のリバイバル上映では動員数10万人を記録するなど、今なお色あせることない不朽の名作である。 「テアトル新宿」「TOHOシネマズ池袋」ほかにて、4月4日(金)から上映する。 公式ウェブサイトはこちら 公開25周年記念上映『バトル・ロワイアル』  (C)2000「バトル・ロワイアル」製作委員会 中学生が無人島で殺し合うというショッキングな内容で物議を醸し、国会を巻き込む大騒動にまで発展した衝撃の問題作が、公開25周年を記念しリバイバル上映する。 暴力映画の巨匠・深作欣二の実質的遺作で、もはや一大ジャンルとなった「デスゲー
君はエジプト料理店でベリーダンスを見たことがあるか

君はエジプト料理店でベリーダンスを見たことがあるか

伝統的なエジプト料理が楽しめる上に、ベリーダンスのショーまで観られるハラルレストラン「スフィンクス(Sphinx Iidabashi)」に行ってきた。 取材に訪れるまでは正直「エジプトでスフィンクスっていくら何でもコテコテすぎないか? 藤子不二雄のネーミング?」などと思っていたが(マジ失礼)、実際に店内もかなりのコテコテ具合だった。 Photo:Kisa Toyoshima外観 Photo:Kisa Toyoshima店内の様子 エジプト以外の何物でもない エジプトの知識といえば、おおよそ『遊戯王』と吉村作治とアース・ウィンド・アンド・ファイヤーぐらいのものだが、アヌビスとかバステトとかツタンカーメンとかヒエログリフとか、「エジプト」と言われて思い浮かぶイメージがあふれる内装はもう端的にキャッチーで、わかりやすくて良かった。誰がどう見ても完全にエジプト。エジプト以外の何物でもない。 Photo:Kisa Toyoshima店内の様子 けっして安直すぎるとか言ってディスってるのではない、沖縄料理屋には沖縄感があって然るべきだし、ハンバーガー屋にはUSA感があって然るべきである。専門料理店とは少なからず観光の要素を兼ね備えているものだ。 フォトスポット完備 われわれ取材班が足を踏み入れたとき、まだ店はオープン前で、スタッフが慌ただしく準備に奔走する中、オーナーのアレックス・エウィスが対応してくれた。 ミリ単位で綺麗にシェイヴされた髭、フレームの細いメガネ、仕立ての良いオールブラックのジャケット&パンツと、きっとこの人はものすごく頭が良いのだろうなという風貌で、柔和かつ早口の、非常に流暢な日本語を操りながら、店内を案内してくれた。 「ここがステージで、ベリーダンスのショーはここでやります。そしてこっちがフォトスポット」 「え、フォトスポットあるんですか?」 店の右奥には黄金の玉座がふたつ並べられており、そのまわりを前述したアヌビスとかバステトとかツタンカーメンのオブジェが取り囲んでいた。この玉座に座って「写真を撮っていいですよ」ってことらしいが、フォトスポットとしてはあまりにも厳かすぎるムードである。 Photo:Kisa Toyoshimaフォトスポット アレックスによれば、この取材翌日からラマダンが始まるので、ラマダン仕様の設えになっているらしい。ラマダンといえば断食ぐらいしか知らなかったが、エジプトの一般家庭ではラマダンの飾り付けというのがちゃんとあるそうだ。 断食は日の出から日没まで行われるが、東京では朝4時半から17時15分までの約13時間がそれにあたる。なぜ断食するのかというと、信仰を深めるほか、恵まれない人たちの気持ちを理解するとか、神の恵みに感謝するとか、いろんな理由があるそうだ。 ハラルとは、そしてベリーダンスとは スフィンクスの創業は2023年末で、営業を始めて1年3カ月になるという。提供されるハラル料理とはイスラム教の教えに基づいた料理のことで、豚肉や豚のエキスが含まれている食品は不可、アルコールは料理酒など含めすべて御法度といったルールはよく知られているところだが(ちなみにスフィンクスでは客用の酒は提供されている)、鳥や牛は決まった屠畜、加工処理でなければならないなど、さまざまな決まり事がある。 Photo:Kisa Toyoshima店内の様子 同店で提供される牛肉はすべて、名古屋産のハラル和牛を買い付けているそう。メニュー表を開くとバラエティー豊かな料理が並んでいるが、いずれも5人のエジプト人シェフによっ
六本木でスタートした手塚治虫「火の鳥展」に行ってきた

六本木でスタートした手塚治虫「火の鳥展」に行ってきた

2025年3月7日から「東京シティビュー」で開催されている「手塚治虫『火の鳥』展 -火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡=宇宙生命の象徴-」に行ってきた。漫画の神様・手塚治虫の傑作で、不死の超生命体である火の鳥を巡る全12編の一大サーガである。 とにかく気が狂うほど面白く、これを最高傑作に挙げるファンも多い。ちなみに『火の鳥』の大型展覧会が催されるのは、これが初めて。以上、解説終わり。 漫画愛好家の禁句 「漫画好きを自覚するものたちとそれについて語り合う」これほど楽しいことは、この世にまたとない。「ダレダレのナニナニ」という作品がいかに革新的だったか、というテーマについて語り合った日にはもう、3軒ハシゴは確定である。 Photo:Kisa Toyoshima火の鳥展 だが、そうした楽しい討論会の中でも決して言ってはならない言葉がある。それは「ま、結局手塚治虫が最初に全部やっちゃってんだけどね(笑)」という言葉だ。これはロックファンの討論会における「ま、結局ビートルズが最初に全部やっちゃってんだけどね(笑)」というのに似ていて、「ただそれ言いたいだけだろ」感がすごく、途端に話をする気がうせてしまうのだ。 少なくとも上記のフレーズを多用する人間をオレは信用しないし、たとえどれだけ泣き落とされたとしても絶対に連帯保証人にはならないだろう。 手塚が広げたクソデカ風呂敷 だが、今回観た展示は危なかった。もう少しで「ま、結局手塚治虫が最初に全部やっちゃってんだけどね(笑)」と言ってしまうところだった。自分で自分を嫌いになるところだった。 Photo:Kisa Toyoshima会場の様子 手塚が1954年から88年の晩年までライフワークとして取り組んでいた『火の鳥』という未完作の風呂敷の大きさは、まさに宇宙並みである。歴史、哲学、宗教、人間原理、量子力学、サイケデリック工学、ディズニー、ジョン・フォード、オーソン・ウェルズ、あらゆるものを包み込むクソデカ風呂敷と格闘しながら、すべてを全力で描こうとしている。 ちょっとエッチな学園ラブコメディーからベートーベンの伝記漫画に至るまで、あらゆるジャンルを縦横無尽に行き来した手塚が、その幅広い作風を軒並み一作に詰め込んだのが本作なのだ。 まさに灯台下暗し、ビッグスケールの作品であることは知っていたつもりだったが、ここまで巨大だとは思わなかった。関連付けられたハッシュタグの量が異常過ぎる。あまねく日本のポップカルチャーは、手塚治虫が開墾した広大な畑の上に成り立っているのだと認めざるを得ない。 終身名誉「火の鳥考察厨」 今回の展示テーマは、生物学者・作家である福岡伸一の視点から『火の鳥』の現代的な意味を読み解くというもの。手塚が描くことを約束しながら果たせなかった「現代編」の内容を推定するという歴史ミステリーのような趣もあるのだが、やはり頭のいい人は面白いこと言うなと感心した。 「おそらく精子ー卵子のリガンドーセレプターレベルでも可塑的なのだろう」とかトーシロには皆目理解不可なところもあるが、膨大な資料群と現代世相を結びつけながら、あらゆる角度からディープに考察する福岡の着眼点はいずれも画期的である。 クローンが禁忌である理由を権力構造という視点から説明するなど「なるほど!」と膝を打つ打力が強い。そして文章も美しいのだ。 絵がマジで爆うまい なんと言っても、目玉はやはり原画である。12編ある『火の鳥』を1編ずつ、大量の原画とともに紹介しているのだが、手塚の生原稿を超至近距離で何百枚も見られるトリップ感
神出鬼没、謎の路上リスニングバーを潜入調査

神出鬼没、謎の路上リスニングバーを潜入調査

最近、都内各地に夜な夜な、路上リスニングバーが現れるという。ミニバーが搭載された自動車と牽引(けんいん)型のリスニングルームが「ニコイチ」で稼働しており、バーで買ったお酒を1杯やりながら、音楽を楽しめるらしい。しかも真空管アンプを使用していて、音もムチャクチャ良いのだとか。 そんな面白カッコいいものは体験したいに決まっているので、早速取材に行ってきた。 神保町で我々が見たものは というわけで2月7日金曜20時、降り立ったのは古本とカレーの街「神保町」。まずリスニングバーを探すところからスタートだったのだが、この日は運悪く大寒波が襲来。吹き荒ぶ冷たい風が容赦なく体力を奪うようなハードナイトで、「なかなか見つからなかったら地獄じゃな~」と戦々恐々していたが、神保町駅を出てわずか8秒で発見した。  Photo: Keisuke Tanigawa Photo: Keisuke Tanigawa いや、かっけぇ~~~~。 パーキングメーターに駐車されたカワイらしいエメラルドグリーンの車、SF映画めいたミドリ色のキャンピングトレーラー、そしてオシャレに灯る「BAR」と「MUSIC」のネオンサイン。それらは都内の大通りでビッカビカに異彩を放ちまくっており、通行人もキョーミ深そうに足を止めたり、写真を撮ったりしている。 Photo: Keisuke Tanigawa Photo: Keisuke Tanigawa Photo: Keisuke Tanigawa もうすでにワクワクが止まらないオレを快く出迎えてくれたのは、バーを企画・運営している神保と清田。早速話を聞くと、このキャンピングトレーラーは神保が考案したモバイルSS(サスティナブルステーション)というものだそうで、ソーラーパネルと大容量バッテリーを搭載した移動式のEV充電スタンドであるらしい。 Photo: Keisuke Tanigawaソーラーパネル 成り行きで生まれたリスニングバー 「DRIVETHRU」という自動車メディアをやっている神保と、八王子のさらに先にある檜原村(都内で3番目に面積が広く、実に9割が森だとか)の「ヴィレッヂ」というコワーキングスペースを運営している清田が、このプロジェクトを始めたのは、全くの成り行き。 このモバイルSSはヴィレッヂに設置されており、「この中は不思議と作業がはかどる」と評判で、Bluetoothのスピーカーでも音がムチャクチャ良いことに気づき、だったらいっそリスニングルームにしようということで、小松音響研究所のサウンドエンジニア・小松の監修のもと、真空管アンプを導入、サウンドデザインを施した。 Photo: Keisuke Tanigawa ちなみに、このキャンピングトレーラーはもともと元・ホンダのデザイナーの設計だそうだが、本人いわく、音が良いのは意図したものでなく偶然だったとか。 さらに「リスニングバーもできるのでは?」と思い立ち、「ミニバーミドリ(minibar MIDORI)」のオーナー、シオリとコラボレーション。このような路上バーが完成した。すなわち酒と音と車と空間、それぞれのプロフェッショナルが総力を挙げた一大プロジェクトなのである。 2025年1月末から週1ペースで稼働を始め、恵比寿、桜新町に続いて、本日ここ神保町が3度目だ。 Photo: Keisuke Tanigawaミニバーミドリのシオリ 寒さもブッ飛ぶオーガニックジン 期待に胸を弾ませながら、まずはドリンクをオーダー。悩んだ結果、エンジンオイル缶を模した
ゼロ年代を代表する青春映画「ゴースト・ワールド」、最後の劇場上映が開始

ゼロ年代を代表する青春映画「ゴースト・ワールド」、最後の劇場上映が開始

2001年に公開され、ゼロ年代の傑作としてカルト的人気を誇る映画「ゴースト・ワールド」が、国内配給権終了にともない、2月7日(金)から「Bunkamura ル シネマ渋谷宮下」で最後の劇場上映がスタートする。 当時は新しい「低体温系」の青春映画としてヒットを記録した本作は、アメリカで「ティーンエイジャーのバイブル」として人気を博したダニエル・クロウズの同名グラフィックノベルを原作に、テリー・ツワイゴフが監督を務めた。 主演は「アメリカン・ビューティー」(1999年)での演技が絶賛されたソーラ・バーチと、ハリウッドを代表するスター俳優として躍進を遂げたスカーレット・ヨハンソ。そのほか、実力派バイプレイヤーのスティーヴ・ブシェミ、ブラッド・レンフロらが印象的な演技を披露している。 Ghost World オフビートでチャーミングなキャラクターたち、古いジャズやブルーズの名曲を集めたハイセンスなサウンドトラック、「ビッグ・リボウスキ」(1998年)や「ラ・ラ・ランド」(2016年)など名作映画の衣装を多く手がけた伝説的デザイナー、メアリー・ゾフレスによる「ダサカワ」なスタイリングなど、今も色あせない多くの魅力を携えている。 そして2023年には、「ゴーストワールド」が日本でふたたび脚光を浴びた。⻑らく入手困難だった原作コミック日本版が再発され、DVDと初BDもリリース。劇場でのリバイバル公開が始まると、若い客層を中心に全国各地で初日から満席回が続出した。 2024年も全国でロングラン上映をしていた本作だが、今回は2025年3月末で国内配給権が終了することを受け、いよいよ最後の劇場上映を迎える(現時点で終映日は未定)。 ぜひ、この機会に大きなスクリーンで見納めてほしい。 関連記事 『ヱビスが漫画家・荒木飛呂彦とコラボし「美人画で巡るヱビス」を開催』 『恵比寿のギャラリー「NADiff a/p/a/r/t」が3月に閉店』 『東京、2月に行くべきアート展5選』 『東京、2月に行くべき無料のアート展8選』 『2025年3月オープン、「高輪ゲートウェイシティ」で注目すべき6のこと』 東京の最新情報をタイムアウト東京のメールマガジンでチェックしよう。登録はこちら
演劇型マーケット「おかしなおかね」に出店してきた

演劇型マーケット「おかしなおかね」に出店してきた

10月19日・20日にかけて新宿・歌舞伎町の王城ビルにて行われた、HYPE FREE WATERが主催する演劇型マーケット“おかしなおかね”に行ってきた。というか、出店で参加した。 Photo: daiki tateyama すげえ簡単に説明すると、入場料をオリジナル紙幣“ぺ〜ら”に換金し、ソレを使って遊ぶフリーマーケット的な感じだ。入場時にもらえる紙幣の量はランダムで、なおかつ大きいのとか小さいのとか箔押ししてあるゴージャスなやつとか色んな種類があるのだが、どれが低額でどれが高額かといった細かいルールは定められておらず、客や出店者はノリや相場に則ってぺ~らを使用することになる。ぺ〜らはあげても捨てても拾ってもいいし、破っても交換してもデコってもいい。価値は自分で決めていいのだ。 お金で遊ぶイヴェント Photo: daiki tateyama なるほどわからん、と唸る方も大勢あるだろうが、僕もさっぱり解らなかった。最初オファーが来たときも『何それ?』って感じだったし、ヴィデオ・ミーティングをやってもさっぱり解らなかった。当日やってみてようやく理解したのである。これは、まさに読んで字のごとく『お金で遊ぶ』イヴェントだったのだ。 初日から偽札やデコ札が横行してるわ、両替所もインチキしてるわ、お金を作るワークショップがプログラムに盛り込まれているわ、参加者たちはまるで食べ物で遊ぶ幼稚園児のように、ホビー感覚でお金を取り扱った。しかも、それでいて平和だった。監視システムもなければ、不正を取り締まるポリスもいないのに、全てがシッチャカメッチャカのままで不思議と調和していた。昔のギャグ漫画のような、ハードコア・ピースなカオスである。そのピースなカオスは、資本主義をおちょくる一種のパロディであると同時に、“お金ってなんだ?”という素朴かつ強烈な疑問をわれわれの目の前に突きつけた。 Photo: daiki tateyama それはまるで社会実験の被験者になったような気分で、たとえば来場者数が増える→ぺ~らの流通量が増える→レートが変わり、インフレが起きる。といった、言葉にしてしまえばごく当たり前に思える現象を、じっさいにリアルタイムで感じるというのは非常に得難い経験だった。街とは、そして経済とは生き物なのだ。たった二日間でこれだけのことが起きるのだから、もし一週間とか、一ヶ月とかやったら、社会経済学の論文のひとつやふたつはこしらえられるだろう。 けっこう気合い入ったアンチ・バビロン Photo: daiki tateyama ロケーションも抜群に面白いし、非日常的だ。歌舞伎町のど真ん中で異彩を放ちまくる王城ビルは、ひとことでいって“カッコいい廃墟”という感じなのだが、そんな場所に段ボールで出来た怪しげな店や出し物が乱立しているのだから、さながら学祭ノリの闇市といった風情だ。虚実皮膜、ウソと現実の境目にあるようなデタラメでいい加減なその世界観は、なんだかダウナーに居心地が良かった。端的にバビロンとは人間から素直さを奪うシステムであり、それはわれわれにあらゆることを諦めさせ、独立や自由、運命さえも投げ出させてしまうのだが、“おかしなおかね”はけっこう気合い入ったアンチ・バビロンだったと思う。 Photo: daiki tateyama 私事だが Photo: daiki tateyama で、僕は何をやったのかというと、紙芝居そしてテキスト・ジョッキーである。僕はペガサス団という紙芝居クルーを主宰しており、これは楽器隊の即興演奏とともにセ
踊ってばかりの国のワンマンライヴに行ってきた

踊ってばかりの国のワンマンライヴに行ってきた

7月17日に恵比寿LIQUIDROOMで行われた、踊ってばかりの国のワンマンライヴに行ってきた。彼らのライヴを観るのは3月にキネマ倶楽部にて行われた、んoonとのツーマン以来だが、踊ってばかりの国が東京で公演するのもそれ以来ということ。開演ギリギリに滑り込むと、もう会場は平日朝の小田急線ばりにパンッパンで、『これじゃもはや踊れねえじゃん。人気やば』とか思ったりした。 で、いきなり結論から申し述べるが、すげえ良いライヴだった。アンコール込み全21曲たっぷり二時間、彼らは存分に観客をトリップさせ、心の旅へと導いていた。 メンバー編成が現在のかたちとなった2018年以降の楽曲をメインに取り上げつつ、『!!!』のような初期の傑作や、野心的な新曲も織り交ぜたセットリストは充実の内容だった。にもかかわらず、“聴きたい曲全部やってくれた~!”という感想にはならない。『beautiful』とか『サリンジャー』とか『twilight』とか、個人的に聴きたかった曲はまだまだいくらでもあった。いかに彼らがエエ曲ばっかりのバンドなのか改めて思い知らされた次第である。 有機的なライヴ(何も言えねえ) 彼らのライヴはとても有機的だといつ観ても思う。 よく“ライヴは生き物だ”なんていったりするが、彼らのライヴほどそれをまざまざと感じさせる音楽体験は中々ない。展開されるグルーヴそれ自体が、息遣いや体温さえ感じるほどに、生命のタギリに満ちているのだ。グルーヴとは譜面化できないものだが、彼らほど譜面外にマジックがあるバンドは珍しいと思う。 たとえばJAMES BROWNのような、各パートがマシーナリーに連動する構造が生む物理学的なグルーヴと異なり、彼らが編み出すグルーヴはある種現象学的で、とらえどころがない。風に揺れる花とか、寄せては返す波のようだ。浮遊するメロディラインと輪郭のにじんだ演奏は、あらゆる境界線をぼやかしていく。一瞬と永遠、個と全、あらゆる色彩や感情がめちゃくちゃに溶け合い、声にならない叫びが込み上げてくる。サイケデリックとはひとことでいうなら“何も言えねえ”ってことだと思うが、愛に触れて崩落した瞬間や、美しいものに心を奪われた瞬間の、ただ何も言えずに立ち尽くすあの感覚を、踊ってばかりの国は全方位的に表現している。『moana』以降、彼らの表現はますます深化していると感じるが、マジで日本屈指のライヴバンドだと思う。彼らが音を鳴らした瞬間、本当に空気の色が変わるのだ。 Photo: Rintaro Ishige メンバーに対する個人的考察 この有機的なグルーヴは、彼らひとりひとりが楽器を通して人間性を伝えられるプレイヤーだからこそ生まれるのだろう。ここからはメンバーをひとりずつ、僕の視点から考察してみることにする。 坂本のドラムはシンプルにいってクソすばらしい。けして手数が多いタイプではないと思うが、きわめて高い技術力と絶妙なタイム感によって織り成されるプレイはひじょうに雄弁だ。 Photo: Rintaro Ishige フィルも多彩だし、シンバルレガートやゴーストノートに至るまで細やかな神経が行き届いていて、1秒たりともつまらなくない。『ひまわりの種』などの楽曲でも顕著だが、坂本の8ビートの幅は凄い。8.01ビートとでもいえばいいのか、しっかりとタメが効いていて、すごくレンジが広い。それでいて時折繰り出されるシンコペーションは自由かつ高度で、ここぞという場面で楽曲を際立たせている。 Photo: Rintaro Ishige そんな坂本と共にリズム・セク
御茶ノ水の富士見坂矢口にて“シロダーラ”を体験してきた

御茶ノ水の富士見坂矢口にて“シロダーラ”を体験してきた

去る7月5日、御茶ノ水にある美容院“富士見坂矢口”にてシロダーラなるものを体験してきた。 シロダーラとは、5000年の歴史を誇る古代インドの伝統医学・アーユルヴェーダの施術のひとつであり、額にある第六チャクラ(第三の目ともいう)に一定時間、人肌ぐらいの温度のオイルを垂らし続けるというものである。 『え、それだけ?』と思う人もあるだろうが、インドの叡智を見くびってはいけない。 このシロダーラは“脳のトリートメント”ともいわれていて、自律神経を整えてストレスを緩和させたり、血行を良くして頭痛や眼精疲労を改善したり、とにかく心身に好影響を与えるモノらしい。そしてややスピリチャルめいた話だが、直感/感覚/知恵を司る第六チャクラを開くことによって、直観力やインスピレーションを高めるともいわれているのだとか……。 Photo: Keisuke Tanigawa で、このたびこのシロダーラをなんと世界で初めて美容院で体験できるようにしたのが、ここ富士見坂矢口なのであーる。まぁ早い話が『マインドと一緒にヘアスタイルもキメちまえよ』っつーことなのであーーる。というワケでまんまとその魂胆に乗っかって、マインドとヘアスタイルをキメにやってきたのであーーーる。 頭蓋骨を整える さて、さっそく施術が始まるのかと思いきや、まずその前段階として、頭蓋骨の歪みを直すマッサージを受けた。 『え!? 頭蓋骨って歪むの!?』と思う人もあるだろうが、頭蓋骨というのはいくつもの骨が繋ぎ合わさってデキているのだそうで、これがうまく噛み合っていなかったりすると、さまざまな身体的不調が起こるのだという。 頭蓋骨の歪みを直すなんてちょっと痛いんじゃないのかね、とビクビクしていたのだが、いやはやこれが実に心地良い。その入力はきわめて緩やかで、まぁたとえて言うならやや真剣にタマ×ンを揉むぐらいの感じである(最低な例え)。なんでも頭蓋骨というのはそれほど強い力をかけなくても変化するのだそーだ。 Photo: Keisuke Tanigawa 時間にしてせいぜい十分程度だったと思うが、マッサージが終わると驚愕した。オノレの頭蓋骨が、手の指の関節ひとつぶんほど小さくなっているのである!! しかも心無しか、頭中にたまった“熱”が抜けて、顔面がナチュラルな弛緩状態になったような気もする……。 Photo: Keisuke Tanigawa 僕はめちゃくちゃプラシーバーで、思い込みやイメージが身体に多大な影響を与えるタイプゆえ、あくまで単なる個人的感想として読んでいただければと思うが、まぁ骨盤にせよ背骨にせよ、ズレた骨を定位に戻すことの効果は大きい。 意識はどんどん深層へ さて、マッサージのあとは、いよいよシロダーラの施術である。 奥の部屋に通されて椅子に寝かされると、その内装や雰囲気も相まって、気分はまるでSF映画のごときだ。胸を高鳴らせながら目をつむる僕の額に、タラーッと、ひとすじのオイルが流れてきた。一定の速度で垂らされるオイルは額のただ一点のみに集中するのではなく、微妙に右往左往する。 Photo: Keisuke Tanigawa そうして僕はほどなく半覚醒状態へ入った。このフィーリングをたとえるならば、さしずめ、“眠りに落ちる一歩手前”という感じだ。すべてを手放して眠ってしまうこともできるし、ただちに瞼を開けて起きることもできる。額に落ちるオイルの生暖かな感触も、毛足の長いブランケットの柔らかさも感じてはいるが、それと同時にすごくディープなところに意識が沈んでゆく。 そしてブレーカー
「YELLOWUHURU × the hatch "NAKED ORANGE”」に行ってきた

「YELLOWUHURU × the hatch "NAKED ORANGE”」に行ってきた

2024年6月28日、SHIBUYA CLUB QUATTROでおこなわれた『YELLOWUHURU × the hatch "NAKED ORANGE”』に行ってきた。精神世界ジャズと覚醒のファンクをつむぐ司祭的DJ・YELLOWUHURUと、混血のオルタナジャズ/ポストハードコアバンド・the hatchによる盟友同士のオールナイト・イヴェントである。 the hatchが主催するイヴェントに、これまで僕は結構な数を参加しており、ていうかフェアーに行きたいので正直に告白するが、まぁ普通に友達である。かなり身内だ。けども、そういうフィルターを取っ払って、すげえフラットな第三者視線でみても、彼らのイヴェントは総じて質が高いと思う。集客力より音楽的野心を判断基準にすえたラインナップは日本のオルタナ/アングラシーンの一角を的確にフォーカスしていると感じるし、商売っ気のない、てづくり感覚まごころ満載な運営姿勢は、学祭的なワクワクと誠実な緊張感を折衷しており、ムード/クオリティ双方においてかなり上質だ。 ちょうどよくて、親しみやすい Photo: Shiori Ikeno で、いきなり結論から入るが、今回のパーティーは社交場の属性が強かった。ひとりきりで頭の中を音楽でいっぱいにするようなストイシズムより、野外フェス的な弛緩と開放感がただよっていたように思う。というとなんだかディスのように聞こえるかもしれないが、これは断じてディスではない。単なる属性の話だ。属性というのは血液型や靴のサイズのようなものであって、それ自体に良いも悪いもない。パーティーはドープであればあるほど良いというのは、カレーは辛ければ辛いほどいいと言うようなものだ。  各種フードやちょっとしたフリーマーケット的な出店などもあり、テーブル席やシッティングスペースも設けられていた本イヴェントは、これまでのthe hatch絡みのパーティーと比べても、とりわけ“ちょうどいい”ものだったと感じる。今回のコンセプトは、かつて渋谷のContactが担っていたような「300~400人規模ぐらいの、DJもバンドも両方成立するパーティー」をやることだったらしいが、そのもくろみは結構成功していたと思う。ちょうどよくて、親しみやすい。 より無防備、よりパーソナルな Photo: Shiori Ikeno そして、そうしたパーティーのムードは、そのままthe hatchのバンドとしての現況にもリンクしていると思った。 ライヴを観たことがない人にわかりやすく説明すると、the hatchとはジャズポストハードコアエクスペリメンタルMPBラテンサイケデリックメタルオルタナティヴアフロコンテンポラリーダンスロックグループであり、多動的な曲展開とカオシックなアンサンブルが特徴的なのだが、冒頭にやった新曲はすげえ歌モノだった。初見でも歌詞がヒアリングできるぐらい、明確に歌が聴こえるものだった。KING KRULE的なメランコリーを滲ませた新曲は、なんちゅうかすげえ純ロックバンドって感じで、かなり意表を突かれた。さながら変化球主体のピッチャーが突然ストレートを投げたときのようなトマドイである。 僕は最前列で観ていたのだが、前列の、ヘッドバンギング&モッシュを待望するキッズたちも、おそらく一様にちょっと戸惑ったのではないだろうか。けれども、この変化は、セルアウトしたとか歩み寄ったとかそういうことではなくて、ノーガードになったということなのだと思う。より無防備に、よりパーソナルな表現に向かっている。野心の末にコンテンポ
FENDER「FIRST ANNIVERSARY SPECIAL NIGHT」に行ってきた

FENDER「FIRST ANNIVERSARY SPECIAL NIGHT」に行ってきた

東京・原宿にあるフェンダー初の旗艦店・FENDER FLAGSHIP TOKYOのオープン1周年のセレブレーションウィークに先駆けて行われた『FIRST ANNIVERSARY SPECIAL NIGHT』に行ってきた。 去年原宿を友達と歩いていた折、完成間近だったこの店を見かけて『ええ!? 原宿にフェンダー出来んの!? なんで!?』とかいって騒いだのがFENDER FLAGSHIP TOKYOに対する僕のファースト・インプレッションであり、それ以降もべつに訪れることもなく、いっつも『ふーーーん』ぐらいの感じで通り過ぎていたのだが、このたび初めて足を踏み入れたのだ。 画像提供:Fender Flagship Tokyo で、感想はというと、普通に面白い。楽器のみならず、フェンダーが手掛けたライフスタイル製品各種や、美味しいコーヒーやサンドイッチ等をラインナップしたカフェも展開されているので、“ギター? ギターってあれでしょ? フィリピンの首都だよね”というぐらいギターに興味のない人でも楽しめるだろう。人生で一度でも『ギターってかっけーな』と思ったことがある人ならば尚更だ。楽器屋というと機材が所狭しと張り巡らされたセセコマシイ印象があるが、FENDER FLAGSHIP TOKYOはまるで美術館の如しである。スペースをゆったりと取った空間は解放感に溢れていて、シンプルに場所として居心地が良い。 画像提供:Fender Flagship Tokyo フェンダー製楽器をあらゆる観点から堪能できる 地下一階から三階までを繋ぐ螺旋状の階段部には、フェンダー製のギターやベースを使用するミュージシャンたちの写真パネルが掲示されている。ジミ・ヘンドリックス、マディ・ウォーターズ、ジョン・フルシアンテ、田淵ひさ子、ボブ・ディラン、ビリー・アイリッシュなどなど、古今東西のスターがズラリと並んだそのさまは、ちょっとした写真展の如きである。昔の広告写真なんかもあるのだが、サーフィンしながらジャガー弾いてる男性がうつっていたりしてシンプルにどういう状況なんだよと思う。 画像提供:Fender Flagship Tokyo それから超レジェンドが使っていたギターも展示されている。リッチー・ブラックモアとかジェフ・ベックとかエリック・クラプトンのギターとかがあって“うおーすげー!”って興奮してたら“ウドー音楽事務所に寄贈”とか書いてあったりして、やっぱウドーはハンパねーとか思う。 画像提供:Fender Flagship Tokyo マスタービルダー(トップクラスの職人)が手がけたギター群が並ぶ三階フロアは、シンプルに壮観である。“目がよろこぶ”という表現があるが、マジで視神経と脳が繋がってる部分が喜んでいるのが解る。スーパーカーとかバスケットシューズなんかもそうだと思うが、機能美とキッズ・マインドが高いレヴェルで融合したデザインというのは、見ているだけで本当に心が躍る。 ほかにも地下フロアにカフェが併設されていたりして、とにかくじっくりゆっくり楽器と向き合えるような設えになっている。失礼な話、“原宿のフェンダーって経営大丈夫なのかしら?”とか思っていたのだが、これだけ配慮が行き届いていればそりゃあお客さんも来るワケだ。まぁそんな感じで、招待客がひしめき合う店内をウロチョロしていたらマーティ・フリードマンがいたのでかなりテンションがアガった。高校時代に朝青龍を見たときと同じぐらい嬉しかった。 ジミヘンのインプロを想起させるライヴペインティング んで、この日の特
ピンク・フロイドの『狂気』を爆音で聴きながらプラネタリウムを観た

ピンク・フロイドの『狂気』を爆音で聴きながらプラネタリウムを観た

有楽町のコニカミノルタプラネタリアTOKYO DOME1にて、「【爆音上映】ピンク・フロイド – The Dark Side Of The Moon」を鑑賞してきた。英国を代表するロック・バンドであるピンク・フロイドが1973年にリリースしたロック史に残る不朽の大名盤『狂気』を、プラネタリウムドームで映像とともに爆音上映するというイヴェントである。『狂気』リリース50周年を記念したプロジェクトの一環として、ピンク・フロイド側が新たに製作したオフィシャル作品であり、昨年日本で上映された際にはチケットが全日程即完売というたいへんな大盛況ぶりであったらしい。そのアンコール上映が本イヴェントである。 めちゃくちゃ期待していた ピンク・フロイドを爆音で聴きながらプラネタリウムを鑑賞する――いっけん珍奇なイヴェントに思えるかもしれないが、『狂気』とプラネタリウムにはじつは密接な関係がある『狂気』が初のお披露目をされたのもロンドンのプラネタリウム施設で、ドーム内には楽曲とともに星座や宇宙のヴィジュアルが映し出され、1973年当時たいへんな反響をよんだのだという。僕はこのイヴェントをひと月近く前から猛烈に楽しみにしていた。どれだけブッ飛ばしてくれるのだろう、ひょっとしたらブッ飛びすぎて気絶しちゃうんじゃないか、などと期待に胸を膨らませながら、その日を指折り数えて心待ちにしていたのだ。 画像提供:コニカミノルタプラネタリアTOKYO 楽しくて、面白いだけ(それが悪いわけもない) 会場にはリクライニング席と寝そべって見るクッション席があり、僕はリクライニング席でこれを鑑賞したのであるが、まぁひとことで言うと楽しかった。さらに言えば『楽しかった』以上のことはなかった。ただ楽しくて、面白いだけだった。無論、それが悪いといっているのではない。 ハッキリ言って、本イヴェントに『深み』とか『精神性』のようなものは一切ない。少なくとも僕には全く感じられなかった。『2001年宇宙の旅』(1968年作・監督スタンリー・キューブリック)におけるスターゲート・シークエンスのような抽象的かつ壮大な映像美や、もしくはピンク・フロイドの同名アルバムを映画化した『ザ・ウォール』(1982年作・監督アラン・パーカー)のような強烈なサイケデリック絵巻を期待していたのだが、プラネタリウムドームに映し出された映像はまったく、そういったものではなかった。宇宙飛行や曼荼羅めいた巨大なマシーン、幾何学模様、単細胞生物などなど、『サイケデリック初級編』とでもいうべき、サイケ・ムーヴィーによく登場する定番モチーフがいっさい何のヒネリもなく次々に登場する。 画像提供:コニカミノルタプラネタリアTOKYO 人間はずっと驚き続けることはできない 映像におけるサイケデリック表現というのは、常に進化/更新し続けられていて、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの『レヴェナント: 蘇えりし者』や、テレンス・マリックの『ボヤージュ・オブ・タイム』、ドゥニ・ヴィルヌーヴの『デューン砂の惑星』なんかが近年のマイルストーンだと思うのだが、本イヴェントにおける映像美はそれらの作品ほどハイファイでもオルタナティヴでもない(そもそも比較自体が間違っているのだが)。マーヴェルや『ワイルド・スピード』に見慣れてしまった目では、本イヴェントのコンピューター・グラフィックの質感は、むしろ懐かしさすら覚える。ド派手だし、テンションも高いし、それなりに興奮もするのだが、キューブリックやアラン・パーカーが試みたような前衛性/実験精神は全く見当