荏開津広(えがいつ・ひろし)

執筆/DJ/京都精華大学、東京藝術大学非常勤講師。東京の黎明期のクラブP.PICASSO、MIX、YELLOWなどででDJを開始、以後ストリート・カルチャーの領域におき国内外で活動。執筆とDJ以外にはSIDECORE『身体/媒体/グラフィティ』(2013年)キュレーション、PortB『ワーグナー・プロジェクト』音楽監督、市原湖畔美術館『RAP MUSEUM』制作協力など最近は手がける。翻訳『サウンドアート』(木幡和枝、西原尚と共訳、2010年、フィルムアート社)

Hiroshi Egaitsu

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荏開津広が語るSIDE CORE「CONCRETE PLANET」に見るストリートとは

荏開津広が語るSIDE CORE「CONCRETE PLANET」に見るストリートとは

アートチーム「SIDE CORE」による彼ら自身の名義では初となる東京での個展「CONCRETE PLANET」は、これまでの決して短くない彼らの活動を振り返る集大成であると同時に、日本の現代美術シーンにおいて現在進行中の注目すべき動きについての展示である。 高須咲恵、松下徹、西広太志からなるSIDE COREに映像ディレクターとして播本和宣がクレジットされての4人は、自分たちの芸術的な活動の目的を「公共空間や路上を舞台としたアートプロジェクトを展開する」ことと宣言する。この記事を読んでいる人のなかには、彼らの最近のプロジェクトの一つ、「第8回横浜トリエンナーレ『野草:今、ここで生きてる』」における横浜美術館の壁面上の巨大な「グラフィティ」と思しきカラフルなアートワークを観た人も多いかもしれない。実際、彼らはグラフィティ以来のストリートアート/カルチャーに十分に馴染みのある日本の世代に属しているだけでなく、メンバーにグラフィティアーティストもいるものの、その活動はポップアート以来ストリートアートの名の下でも続けられている旺盛な商品とセレブリティのイメージの使い回しを退ける。同展のプレスリリースによれば、SIDE COREのストリートアートとは「都市システムに対して個人として小さなヴィジョンを介入させ」、ある種の文化闘争として「国境や時代を超え」「予想できない誰かと繋がりを作り出す」試みだという。 Photo: Kisa Toyoshima展示風景より『東京の通り』(2024年) 会場の「ワタリウム美術館」の展示空間最上階の天井までどころか、建築的な構造さえ利用することを含み、展示スペース内部に収まらない「CONCRETE PLANET」は、窓の外の「キラー通り」を挟んで向かいの建物へ、会期中の一時期には国道246号沿いの別会場へと展開されるが、例えば、そびえ立つ 『コンピューターとブルドーザーの為の時間』(2024年)に顕著な具体性(concreteness)を伴って、それらすべては作り出される。その意味で、SIDE COREの作品展示/介入は、電子メディアにはびこる表層的なイメージの視線の政治へ断固として距離を取る。 Photo: Kisa Toyoshima展示風景より『コンピューターとブルドーザーの為の時間』(2024年) 実際の道路工事に使用されているピクトグラム/看板を集めたコラージュ『東京の通り』(2024年)は、支持体と一体化し、「工事中」の現場に置かれる作業員の人形のように、また都内のいたるところで続けられる工事そのもののようにその動きを止めることはない。向かって一方の壁側に複数の眼のごとく集められた自動車用ヘッドライトからの光は、前述のパイプ菅による大型の音響彫刻/モニュメント『コンピューターとブルドーザーの為の時』を貫き強く反射し、会場を移動する私たちの実際の鑑賞の仕草に影響を与えるだろう。これらの作品の間には、アマルガム的ともいうべき奇妙な焼き物『柔らかい建物、硬い土』(2024年)が設置されており、そこには「焼き物は人類が最初に作った産業廃棄物」であるとの説明が付けられている。 Photo: Kisa Toyoshima展示風景より『柔らかい建物、硬い土』(2024年) 『柔らかい建物、硬い土』の寡黙な――つまり焼き物という存在が持つ時間に対する頑強さは、その周囲の、とりわけストリートの素材についてまわるある種饒舌な作品との違いを明らかにすることでストリートVSコンテンポラリーといった二項対立を解除しつつ、作品