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ケン・ローチ監督が、テレビドラマ『キャシー・カム・ホーム』でホームレス問題に対する激しい怒りを描いてから50年がたった。今作『わたしは、ダニエル・ブレイク』でも同様に、現代社会の破綻に対して静かながらも怒りが描かれている。本作は、ロンドンに移住してきた2人の子持ちのシングルマザーであるケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)と、心臓の病におそわれて仕事がしたくてもできなくなってしまった、ニューカッスルに暮らす50代後半のダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)との間に、思いやりのある友情が生まれる物語だ。
本作では大袈裟な感情表現や、観客を喜ばせるような傾向は一切見られず、映画音楽もほとんど使用されていない。ケン・ローチ監督は、語りたいストーリーがある人々の存在を知っているからこそ、自信を持ってまっすぐに物語を描いている。色彩は控えめで派手さはなく、余計なものがない作品であり、だからこそパワフルで差し迫ったものが感じられる。
国の援助が縮小されているのを感じるケイティとダニエル。ケイティは住む家を追われて子どもとともにイギリス北東部ニューカッスルに移ってきたばかりで、ダニエルは仕事、病気、国の援助の間に広がる悪夢のような官僚的な手続きに困惑していた。パソコンを一度も使用したことがないダニエルに対して、職業安定所の職員は「我々はデフォルトでデジタルだ」と語り、別のオンライン申請用紙を提出するように促す。作品を通して、政府の官僚制度で使われる非人間的な言語が飛び交う。ブラックユーモアがあって滑稽だが、その内側は脅迫的で、命にさえ関わるような響きに変わり始めるのだ。
ケン・ローチ監督が同情を寄せながら描写するのは、ダニエルとケイティが屈辱を覚える機会が増え、見えない力が彼らを別人に変えていく様子だ。ダニエルは、地域貢献を目指す穏やかで陽気な人間であり、最初は彼の前に立ちふさがるシステムを批判し、笑い飛ばす余裕があった。しかし、本作で描かれる悲劇であり見どころとなるのは、彼がいくら明確な態度を取ろうとも、結局は1人の男が抱えるには問題が大きすぎるということだ。ダニエルや、いたる所にいる彼のような人間は、裏切りを警戒するケイティのような存在を必要とする。地域社会、慈悲深い政府、そして仲間を必要とするのだ。ケイティは自尊心があり表向きはしっかりしているが、食糧援助を行うフードバンクにおいて彼女が公衆の面前で仮面を脱ぐシーンは最も衝撃的に描かれていた。
2001年の『ナビゲーター ある鉄道員の物語』を発表して以来、最も控えめで実直なスタイルを取る作品かもしれない。ケン・ローチ監督が過去20年の間に制作した多くの作品と同様にポール・ラヴァティが脚本を手がけており、暖房設備のない部屋を暖める方法(窓に気泡シートを取り付ける、キャンドルを使って即席ヒーターを作るなど)を取り上げるなど、彼のリサーチャーとしての鋭い嗅覚を証明するような細かい場面が描かれている。中国から輸入した怪しいスポーツシューズを販売するダニエルの若き隣人についての脇筋のストーリー(これもリサーチで判明した事実だろう)は余計な気もするが、本作には明確かつ純粋なミッションが感じられた。
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